Tom Takahashiのブログ〜All about my interests

物理とかサッカーとか乃木坂とか山とか乃木坂とか。

研究室選び

学部から大学院に上がる際の研究室選びはとても難しい。

学部3年の夏頃から、院試の直前の時期までの期間(僕は1回目の院試に失敗してしまったため、2年間)は本当にそのことばかり考えていた。僕の場合は物理だけど(素粒子実験から、結果的に統計力学・生物物理の理論という分野変えをした)、きっと文系を含む他の分野でも同じことが言えるだろう。こんなに色々と悩むことは人生でもうないだろうと思うぐらい悩んだ(きっとそんなことないんだろうけど)。いろんな人に、それはもういろんな意見を言われた。研究室選びはなぜこんなにも悩むのか。それは第一に、学部生の段階では”研究”というものがどういうものなのか全然わからないことが理由だろう。また、学部3年の秋ぐらいの知識では、最新の研究結果とのギャップがあまりにも広いことも大きい。学部3年の12月ぐらいの時点で、いきなり、さあ今から修士(あるいは博士)までの研究分野、研究室、先生を決定しなさい。と言われても、よほどはっきりとやりたいことが決まっている人、もしくは、もうすでに標準的なレベルをはるかに超えた学問的知識を有しているというような人でない限り、無理である。(僕の母校の大学では、どの学部もなぜかこのようにしてとても早い段階で研究分野が決まる。そしてB4の頃から院生並みにばりばり研究させられて、成績による推薦で院に進む人がほとんど。もちろん、早いうちにハイレベルな研究ができるといういい面もあるが、これからの時代、分化の時期が早いことは逆にデメリットになりかねないと思う。ただ、個々の先生は非常に学生思いで、研究の実情なども交えてアドバイスをくれた。本当に感謝している)なので普通の学生は、就職が良さそうだとか(就職と研究は本来無関係)、楽そうだからといった、本質的でないことを主な参考にするしかないのである(これは現実問題非常に厳しいだろうが、僕はもっと研究者・研究室同士でお互いの批判を公にするべきだと思う。近い分野の研究者間の客観的意見は、学生にとってもっとも参考になるものであると思う。学生の認識だけでは、例えば、この研究室はあまりアクティブに論文を書いていないだとか、この先生は学生の指導に興味はないだとか、あるいは学生への厳しい指導ばかりして、自分ではあまり研究していないだとか、ということ知るのは困難である。)
 もし研究分野に特にこだわりがない場合は、それでもいいと思う。でも、「少なくとも修士までは進み、自分の興味のある分野でいい研究をしたい」という人や、「研究者になりたい」といった人たちにとっては、研究室選びでもし失敗すると、あとあと非常に後悔することになる。それは才能の無駄遣いだと思う。偏差値の高い大学の理系学部の多くの人は、このようにして、多少興味のない分野でも、おそらく大学受験の頑張りの余力みたいなもので、修士までは乗り切れてしまうんだと思う。これでは、真にいい研究はできないし、大学院というもの存在意義が怪しい気がする。
 何かいいアドバイスをするとしたら、まず、

・「なぜ大学院に行くのか」というところから徹底的に考えるべきだ

というのを挙げたい。基本的に大学院に進む理由なんて人さまざまでいいと思うんだけど、望ましい理由としては、「小さい頃から宇宙に興味があって、自分は今このようなことを、こういった手法で研究したい」「学部の授業ですごく疑問に思ったことがあったので、どうしてもそれを自らの手で解明したい」「何かの応用研究で世の中をもっと便利にして、一攫千金狙いたい」といったような、純粋な学問的興味に突き動かされるパターンや、何かの応用研究をやりたいというパターンである。こういう類の理由をちゃんと強く持っている人であれば、大学院(研究室・先生)という環境が、自分の人生をより面白く生きるための「手段」だということに気づけると思う(僕は実はこのことを最近になってようやく本当の意味で理解できた)。あるとても優秀な(GPA3.8ぐらいあった)物理学科の友達が、学部3年の時に「俺院行くのやめた。だって特にやりたいことないし」と言った時、僕は(なんて勿体無いんだ、普通理系なら、しかもそんな優秀なら大学院行くだろ)と思った。でもその選択は全く正しい。やりたいことがあるから大学院にまで行くんだ。
 大学院に行くことが目的化している人はかなりいるんじゃないだろうか。でもそれは典型的な「手段の目的化」であって、大学院という場所は、研究というものをしたい人間にとっての、知的欲求を満たすという「目的」を達成するための一つの「手段」に過ぎないわけだ。
 注意したい理由は、「研究者になりたいから」とか「有名企業に就職したいから」という理由である。そういう理由は、まさに手段が目的化しているという状況だと思う(でも多くの人がこういう理由を大学院進学の理由として善しとするんじゃないだろうか)。あることが気になって仕方がないからそれを研究したいと思い、そして「じゃあ研究者になろう」となるわけで、「研究者になりたいから、何かいい研究テーマを見つける」というのは順番が逆である。

 次に言いたいことは、

・興味と人間性がハイレベルで合う先生を選ぶ

かな。これは言わずもがなだとも思うけどね。やっぱり、興味がちゃんと合うことは大事だと思う。いくら能力があっても先生の経験に頼る時は来るはずで、絶対に力になってもらうタイミングがある。その時、先生側の立場から考えると、自分があまり興味を持っていない研究に対して、自分の研究時間を削ってまでアドバイスしたいと思うだろうか。
 また、研究する身であってもそれ以前に一人の感情を持った人間なので、好き嫌いみたいなのは、研究室の快適さを大きく左右する。「なんかこの人好きだな」っていう人と意見を交わし合うのは誰にとっても楽しいものだし。そしてまた逆も然り。

 とにかく、「自分にとっての利益を最大化する環境を選ぶ」というのを注意深く考えて研究室を選ぶべきだろうな。こういうのは、小さい頃から先生に言われたことは多少嫌でも気合いで頑張ってきましたみたいな、いわゆる真面目な、頑張り過ぎちゃう学生は苦手だろうな。逆に、ちょっとわがままで、嫌いなものは嫌い、やりたくない、みたいなタイプの人間の方が得意な気がする。日本の義務教育、そして社会はは前者を無駄に褒め称え、後者を無理矢理にでも前者に矯正してしまうよね。