Tom Takahashiのブログ〜All about my interests

物理とかサッカーとか乃木坂とか山とか乃木坂とか。

北アルプス 鷲羽岳登山

はじめに

 これは昨年(2018年)10月13,14日の二日間で登った北アルプスにある、日本百名山の一つ鷲羽岳の登山記録です。なぜ3ヶ月以上経ったこのタイミングで書くのかというと、別に特別な理由はありません(笑)。なんとなく暇だったのでブログ再開と今後の登山のためにも書いておこうかなと。登った直後に書くべきだったと思います。反省しています。
 以下、当時の記憶を頼りにこの登山を振り返っていきます。写真を撮った詳細な地点など、細かいところは記憶が薄いです。登山メモも残してないので本当に記憶だけを整理して書きます。主に自分の登山記録と後学のために書きますが、もしこれから鷲羽岳を登る予定の方がいましたら、少しでも参考になれば嬉しいです。ちなみにヤマレコ:
www.yamareco.com
において山行記録等を載せています。(各地点の到着時刻はあまりにも覚えてないので書いてません。すいません)
 ちなみに、僕は山登りが趣味でシーズンは主に一人でアルプス等をちょくちょく登っています。ブログにまとめるのは今回が初めてですがこれからは極力一登山一ブログを目指して更新していこうと思います。

装備

 装備はこんな感じでした。

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装備

 ザックはグレゴリーのバルトロ65のネイビーです。この登山で初使用でした。左から、ご飯(昼飯用)、鍋、カトラリー、水筒(たためるやつとオーソドックスなやつ一つづつ)、アンダーウェア、ミドルウェア、ジョージオーウェルの小説『1984年』(小屋や移動時に読む用)、ガスバーナー、グローブ、帽子、コンパス、サコッシュ、財布、ファーストエイドキット、ズボン、短パン、レインウェア、ダウンベスト、スタッフバッグ、ダウンジャケット、てな感じです。ザックの雨蓋には行動食(グラノーラジップロックに大量に入れたもの)、予備の靴紐、ヘッドランプ、上記のもの以外のファーストエイドキット、ビニール袋を入れていきました。水はルート中に湧き水の箇所が多数あったので、登山口で満タンにして以降特に困りませんでした。
 ウェアはNorthfaceのものとPatagoniaのもので主に固めています。おしゃれかつ高機能で最高です(高いけど)。Patagoniaのシェル(レインウェア)はおしゃれなので特に気に入ってて、春とか秋口は私服としても着てます。というかそうするために買いました。同じくPatagoniaのダウンジャケット(写真右下)は普段使いのみの目的で買いましたが、今回は北アルプスの登山シーズン終了ギリギリの時期ということで山頂付近は相当に寒いことが予想されたので持っていきました。結果的にも二日目の朝鷲羽岳山頂を攻めた際に着用し、大活躍でした。Tシャツと短パンは、これはまあ予想通りでしたが使いませんでした。ちなみにガスバーナーは初めて使いました。
 あとめちゃくちゃ重要な地図は、

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ジップロックに入れた登山地図
のようにして、予定のルートを書き込んで、折りたたんで、雨が降っても濡れないようにジップロックに入れて持っていきました。いかにも上級者かのように言ってますけどこれは登山客の中では常識だと思います(多分)。
 しかし、登山のエキップメントは、どこか男心をくすぐるところがありますな。はっはっ
 あとこの他にもサンダルとかコップとかカップヌードルとか持って行った気がします。書き忘れてるものもあるかもです。あ、そういえば乃木坂46桜井玲香ちゃんのタオルも持っていきました!(笑)お守り的な感じです(笑)

行程

 覚えてる限りで書きます。

1日目:新穂高ロープウェイ(4:30ぐらい) → 新穂高登山訓練センター(5:00) → 鏡ヶ池(10:30ぐらい) → 双六小屋(12:00) → 三俣山荘(14:40ぐらい)
2日目:三俣山荘(5:00) → 鷲羽岳山頂(6:50ぐらい) → 三俣山荘(8:00) → 双六小屋(12:00) → 鏡ヶ池(13:30) → 新穂高登山訓練センター(16:00)

大まかにこんな感じです。地図上のルートは上に示したヤマレコに載せてます。それらを見ればわかると思いますが、ピストンしました。実はほんとはもっと時間をかけて鷲羽岳を超え、水晶岳を攻め、そして日本最後の秘境と呼ばれる雲ノ平に行ってみたかったのですが、日程的に無理でした。今度挑戦しようと思います。
 前泊はせず名古屋駅から上高地行きの夜行バスで行きました(僕は名古屋在住)。僕以外ほとんどおじさまおばさま方ばかりで、「ああ、俺は24才にしてもうすでにこの方達と同じ趣味を楽しんでしまっているのか。」と山登りが趣味のくせにちょっと微妙な気持ちに、一瞬ですがなっちゃいました(笑)。名古屋で一緒に登る友達が欲しいです。そういえば、僕は一番後ろの席だったのですが、夜中、若めの女性がバスの最後尾にあるトイレで用を済ませたあと、僕の方をしばらく凝視してきてめちゃくちゃ怖かったです。その時僕は寝ているふりをしてたのですが異様な空気を感じ思わず通路にいるその子の方を見他のですが、そしたらまるでお化けでも見たかのように驚いた様子でその女性は自分の席の方へ走って戻っていきました。僕を幽霊だか何かと本気で勘違いでもしてたんでしょうか。怖かったです。
 結局バスでは20分ぐらいしか眠れませんでした。もともと夜行バスは苦手だったのですが、案の定ダメでした。そんな感じでかなり気分の悪い状態で、朝の4:30ぐらいに新穂高ロープウェイにて下車しました。僕しかそこでおりませんでした。突然真っ暗闇の山奥に放り出されて、しかも気分が悪いのもあいまって、めちゃくちゃ怖かったのを覚えてます。真夜中の田舎道でも結構恐怖なのに、ましてや山奥とかほんとやばかったです。「俺はほんとに今回の登山を成功させられるのか。。。」と不安に思いました。なんというか、この状況になることを1ミリも想定できていなかった自分を攻めました(笑)。
 しかしこの時、夜空に浮かぶ星々たちが、もう、まじで、信じられないぐらい綺麗でした。地上ではありえないほど光り輝いてて、まるで別の惑星にきたかのような感覚に陥りました。その時の写真です:

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星が綺麗すぎた新穂高ロープウェイ付近から見た夜空
すいません、全くわかりませんね。どうやったら夜空って上手く撮れるんでしょうか。そこらへんのこと全く知りません。まあとにかく異様なほど輝いてました。しかしこの時僕はこの光景を見て、あまりにも星々が輝きすぎてて、逆に「恐怖」を感じてました。なぜだろう、あの世の一歩手前まできてしまったのではないか、みたいに思ってしまうほどの光景でした。(意味がわからないともいますが、ほんとにそう感じました。)もし共感を得たいと思う方がいましたら、ぜひ夜行バスで寝不足のまま新穂高ロープウェイまで一人で行ってみてください。この時、僕の他にも登山客の方がいて、ヘッドランプをつけ、単独で真っ暗な登山道に入っていく人を2人ほど見ました。勇者だと思いました。もしかしたら幽霊かもしれませんが。(その時のお二方、すいません!)
 こんなことがあったので、着いてからそこからほど近くの新穂高登山訓練所までいくのに30分かかりました。そこには登山客の人も何人かいて、明かりもついてて、中はあったかくて、心のそこから安心しました。文明のありがたみを肌で感じた感じでした。そこにきて自販機でカルピスを買ってほぼ一気飲みし、バスに乗る前に買ってあったおにぎりを食い、そしてコンタクレンズを装着し、トイレを済ませ、水筒を満タンにし、靴紐を固く結びました。そうしていると次第に「よーし、登るで〜〜!」という気持ちになってみました。しかしここで半端じゃない眠気が襲い、今後の行程もあるので、20分ほど中にあるベンチで寝ました。起きてからようやく登山開始!!
 
 歩き始めると流石に登山モードになってきて、集中してきました。登山中は結構この集中が大事で、いいメンタルで登ることを心がけてます。大一番を前に落ち着き払いながら悠々と歩を進める、みたいな感じですね(笑)。転倒による怪我や滑落防止のためにもちろん大事だし、なんというか、いい集中を保ってないと楽しくないんですよね。ソロ登山は瞑想っぽいところがあります。ここら辺で撮った(と思われる)写真:
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道。まだ登山道っぽくない
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わさび平小屋
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登山道から見える風景
 ここら辺はまだ登山道といった感じではなく、しばらくはほとんど平らな道を歩いていました。場所的には、穂高岳などの西側の谷にある道で、北アルプスの「裏側」みたいな雰囲気のところを歩いてる感じでした。北アルプスが自身ののディープで落ち着いた部分を見せてくれているようで、いい気分で歩けてました。(まあ僕が勝手にお邪魔してるだけですけどね笑)夜行バスから降りた直後のメンタルが嘘みたいに気分が晴れてましたね。
 それ以降のところでの写真:
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木々
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 しばらく歩くと鏡平に着きました。

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鏡平。水面に移る槍が美しい。
 逆光ですが、この水面に反射する感じは最高ですね。ちなみに、さらっとかいてますが鏡平まではめちゃくちゃ長くて、かなり疲れてました。すぐそばの鏡平山荘では、かき氷とかカレーとかが食えるのでたくさん登山客が休憩してましたが、僕はまだ宿泊先の三俣山荘まで長いし、今後寝不足からの疲れがくるだろうと思って休憩しませんでした(鏡平では十分休憩しました。)。
 そのあとの弓折峠までの登りが、けっこう急で疲れました。ここがもしかしたら一番疲れたかもしれません。まあ逆にいうと、それ以外にすごい急登は特になかったってことです。鷲羽岳登山は、かなり長距離を歩きますが、めちゃくちゃ疲れる箇所とか、危険な箇所は特になかったですね。あ、でも、山登りでは油断は禁物なのでもちろん気を引き締めて登ってくださいね。
 そこいらへんで撮った写真:
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鏡平小屋近くの池に架かる小さな橋
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登りが急だったところ

 その後もてくてくと歩いて、昼頃に双六小屋に着きました。

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遠くに双六小屋が見える
ちなみにその途中にこんなところ:
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謎の砂地
や、こんな景色:
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がありました。
 双六小屋ではバーナーでお湯を沸かして、モンベルで買ったインスタントのリゾットを食いました。ここは写真を撮っておくべきでしたがなぜか取り忘れてます。ちなみにこの時双六小屋玄関前の同じテーブルに、カップルと思しき30歳ぐらいの男女が座って飯を食っていました。でもよくよく会話を聞くとカップルではなさそうな感じでした。カップルというより職場の先輩後輩(男性側が先輩っぽかった)という感じで、中よさそうでした。カップじゃないのに、男女で二人で泊りがけの山登りに行く関係なんてすごいなと思いました。いや、さすがにカップルか。

 このあと三俣山荘までのルートで双六岳、三俣蓮華岳の頂上を踏めるのですが、僕はこの時本当に眠くて、なるべく早い時間に三俣山荘にたどりつく自信がなかったので、近道で行きました。そこから、とうとう目標の鷲羽岳を望むことができました。

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ちょっと遠くから見た鷲羽岳
 正直、ここからの山行はあまりにも眠くて、さらに霧がかかってきたのもありめちゃくちゃ集中力が低下してしまい大変でした。本当に、ろくに眠らずに山に登るべきではありません。2、3回、思いっきり石につまづき転んでました。なので写真も撮ってないです。
 しかし三俣小屋が近づくと、とうとう、鷲羽岳のかっこいい姿が見えてきました!
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鷲羽岳
あいにくの曇り空ですが、逆に雲の合間から顔を出す鷲みたいな雰囲気がでててよかったです。
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一番よく撮れた鷲羽岳
 鷲羽岳の名前の由来は、もうお気づきかもしれませんが、この正面から見た姿が鷲が翼を広げているかのようだからだそうです。この時の感覚は本当に絶妙で、北アルプスの奥地に鎮座するラスボスが、ようやく姿を現したような感じでした。あまりにも美しくかっこいいので、何度も立ち止まって見てしまいました。北アルプスは、焼岳、鹿島槍五竜岳を登ったことがありますが、鷲羽岳は一番かっこいいですね。

 鷲羽岳のあまりのかっこよさに圧倒されていると、ようやくその日宿泊する三俣小屋に着きました。:

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三俣小屋
 三俣小屋は僕がいった土日が最終営業でした。他の小屋もその週かその前の週には閉じてましたね。眠かったので、着くや否やコンタクトつけたまま夕飯の時間まで3時間ほど爆睡しました。あれほど深い眠りは人生であまり経験したことないくらいです。夕飯のメニューは完璧には覚えてませんが、どれもすごく美味しかったですね。ビーフシチューならぬジビエシチューというのがでたのですが、まじでうまかったです。上質なタンパク質を摂って次の日に備えることができました。ちなみに余談ですが、僕は研究でベイズ推論と計算統計物理を使ったタンパク質の配列デザインというのをやっています(笑)。これにて1日目終了。


2日目。新穂高温泉16:50発のバスに乗らなきゃだったので、下山後の温泉に入る時間も考え、朝は4時ごろ起き準備して、三俣山荘の方に頼んでおいたお弁当を小屋に入りうちにささっと食って、いよいよ鷲羽岳頂上を攻めました。

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当日の朝
こんな真っ暗な中、出発しました。でもこれから頂上かと思うと気持ちが奮い立ちましたね。何というか、俺は山に登ることを生業とする人間だ。みたいな感覚に襲われます。でもこの時は本当にそのくらい集中してましたね(笑)。そして、吹き荒れる強風の中、とうとう、、、、
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鷲羽岳頂上
頂上、とったどー!!!
 この時頂上には僕以外誰もいませんでした。今世界でこの山の頂上にいるのは自分だけなんだと思うと、なんだかすごく気持ちよかったですね。ちなみに霧がかかりまくってたので頂上からの絶景は全くでした。。。(笑)鷲羽岳頂上からは、穂高や槍などの北アルプスのオールスターをパノラマ的に見ることができるそうで、そこは残念でしたね。ま、またいつか登ろう!!
 下山は、まあ普通に降りてきました。景色はこんな感じ:
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下山中に見た穂高
 持病である左膝の痛みが響きましたが、なんとかバスの時間に間に合いました。バスに乗る直前、あまり時間に余裕がなくせっかくの温泉を10分ほどで済ませることになっちゃったのがこの登山の一番の心残りですね。(笑)

終わり

研究室選び

学部から大学院に上がる際の研究室選びはとても難しい。

学部3年の夏頃から、院試の直前の時期までの期間(僕は1回目の院試に失敗してしまったため、2年間)は本当にそのことばかり考えていた。僕の場合は物理だけど(素粒子実験から、結果的に統計力学・生物物理の理論という分野変えをした)、きっと文系を含む他の分野でも同じことが言えるだろう。こんなに色々と悩むことは人生でもうないだろうと思うぐらい悩んだ(きっとそんなことないんだろうけど)。いろんな人に、それはもういろんな意見を言われた。研究室選びはなぜこんなにも悩むのか。それは第一に、学部生の段階では”研究”というものがどういうものなのか全然わからないことが理由だろう。また、学部3年の秋ぐらいの知識では、最新の研究結果とのギャップがあまりにも広いことも大きい。学部3年の12月ぐらいの時点で、いきなり、さあ今から修士(あるいは博士)までの研究分野、研究室、先生を決定しなさい。と言われても、よほどはっきりとやりたいことが決まっている人、もしくは、もうすでに標準的なレベルをはるかに超えた学問的知識を有しているというような人でない限り、無理である。(僕の母校の大学では、どの学部もなぜかこのようにしてとても早い段階で研究分野が決まる。そしてB4の頃から院生並みにばりばり研究させられて、成績による推薦で院に進む人がほとんど。もちろん、早いうちにハイレベルな研究ができるといういい面もあるが、これからの時代、分化の時期が早いことは逆にデメリットになりかねないと思う。ただ、個々の先生は非常に学生思いで、研究の実情なども交えてアドバイスをくれた。本当に感謝している)なので普通の学生は、就職が良さそうだとか(就職と研究は本来無関係)、楽そうだからといった、本質的でないことを主な参考にするしかないのである(これは現実問題非常に厳しいだろうが、僕はもっと研究者・研究室同士でお互いの批判を公にするべきだと思う。近い分野の研究者間の客観的意見は、学生にとってもっとも参考になるものであると思う。学生の認識だけでは、例えば、この研究室はあまりアクティブに論文を書いていないだとか、この先生は学生の指導に興味はないだとか、あるいは学生への厳しい指導ばかりして、自分ではあまり研究していないだとか、ということ知るのは困難である。)
 もし研究分野に特にこだわりがない場合は、それでもいいと思う。でも、「少なくとも修士までは進み、自分の興味のある分野でいい研究をしたい」という人や、「研究者になりたい」といった人たちにとっては、研究室選びでもし失敗すると、あとあと非常に後悔することになる。それは才能の無駄遣いだと思う。偏差値の高い大学の理系学部の多くの人は、このようにして、多少興味のない分野でも、おそらく大学受験の頑張りの余力みたいなもので、修士までは乗り切れてしまうんだと思う。これでは、真にいい研究はできないし、大学院というもの存在意義が怪しい気がする。
 何かいいアドバイスをするとしたら、まず、

・「なぜ大学院に行くのか」というところから徹底的に考えるべきだ

というのを挙げたい。基本的に大学院に進む理由なんて人さまざまでいいと思うんだけど、望ましい理由としては、「小さい頃から宇宙に興味があって、自分は今このようなことを、こういった手法で研究したい」「学部の授業ですごく疑問に思ったことがあったので、どうしてもそれを自らの手で解明したい」「何かの応用研究で世の中をもっと便利にして、一攫千金狙いたい」といったような、純粋な学問的興味に突き動かされるパターンや、何かの応用研究をやりたいというパターンである。こういう類の理由をちゃんと強く持っている人であれば、大学院(研究室・先生)という環境が、自分の人生をより面白く生きるための「手段」だということに気づけると思う(僕は実はこのことを最近になってようやく本当の意味で理解できた)。あるとても優秀な(GPA3.8ぐらいあった)物理学科の友達が、学部3年の時に「俺院行くのやめた。だって特にやりたいことないし」と言った時、僕は(なんて勿体無いんだ、普通理系なら、しかもそんな優秀なら大学院行くだろ)と思った。でもその選択は全く正しい。やりたいことがあるから大学院にまで行くんだ。
 大学院に行くことが目的化している人はかなりいるんじゃないだろうか。でもそれは典型的な「手段の目的化」であって、大学院という場所は、研究というものをしたい人間にとっての、知的欲求を満たすという「目的」を達成するための一つの「手段」に過ぎないわけだ。
 注意したい理由は、「研究者になりたいから」とか「有名企業に就職したいから」という理由である。そういう理由は、まさに手段が目的化しているという状況だと思う(でも多くの人がこういう理由を大学院進学の理由として善しとするんじゃないだろうか)。あることが気になって仕方がないからそれを研究したいと思い、そして「じゃあ研究者になろう」となるわけで、「研究者になりたいから、何かいい研究テーマを見つける」というのは順番が逆である。

 次に言いたいことは、

・興味と人間性がハイレベルで合う先生を選ぶ

かな。これは言わずもがなだとも思うけどね。やっぱり、興味がちゃんと合うことは大事だと思う。いくら能力があっても先生の経験に頼る時は来るはずで、絶対に力になってもらうタイミングがある。その時、先生側の立場から考えると、自分があまり興味を持っていない研究に対して、自分の研究時間を削ってまでアドバイスしたいと思うだろうか。
 また、研究する身であってもそれ以前に一人の感情を持った人間なので、好き嫌いみたいなのは、研究室の快適さを大きく左右する。「なんかこの人好きだな」っていう人と意見を交わし合うのは誰にとっても楽しいものだし。そしてまた逆も然り。

 とにかく、「自分にとっての利益を最大化する環境を選ぶ」というのを注意深く考えて研究室を選ぶべきだろうな。こういうのは、小さい頃から先生に言われたことは多少嫌でも気合いで頑張ってきましたみたいな、いわゆる真面目な、頑張り過ぎちゃう学生は苦手だろうな。逆に、ちょっとわがままで、嫌いなものは嫌い、やりたくない、みたいなタイプの人間の方が得意な気がする。日本の義務教育、そして社会はは前者を無駄に褒め称え、後者を無理矢理にでも前者に矯正してしまうよね。

AIは運動方程式を発見できるか?

 最近、話題の高まりもあってこのテーマについて考えてしまう。初めのうちは、こんな問いはナンセンス極まりない、なんていう風に思っていた。でもやはり、自分はまだ若く(来月で24歳)、汎用AIが産業界・学術界に現在に状況よりも増して浸透していくであろう未来を生きるわけである。また、AIの研究は最早、魔術化しすぎていて科学というものの範疇になく、真剣にその振る舞いについて考えるべきなのではとも思う。このような理由から題名にあるようなことを考えてみた。
 
 僕の自説の結論は、「AIは少なくとも、(現段階では)問題発見能力までは持てない」である。自説というよりは、数冊の本と、主に落合陽一の意見、そして自らの経験を踏まえた上での妄想と言ったほうがいいかもしれない。
  
 大量のデータをAIに入力すれば、いとも簡単に運動方程式を書き下すだろう。と考えるのは少し短絡的すぎるのではないか。ケプラーは確かに、ティコ・ブラーエが残した膨大な量の天体運動に関する観測データから有名な3法則を見出した。

ニュートンも、特に第3法則(惑星の公転周期の2乗が楕円軌道の長半径の3乗に比例)を使って、遠心力のアイディアから、「重力」というものを考えついた(らしい。詳しいことはよく知らない。ただニュートンケプラーの第3法則から遠心力みたいなものを確かに導いている。詳しくはスティーブン・ワインバーグ『科学の発見』を読んでください。これは個人的にはサピエンス全史に並ぶ傑作だと思う)。

 とにかく、その時代にもしAIが存在していたら、ケプラーより早く同じ結論に達していた可能性が極めて高い。
 がしかし、である。ケプラーの法則は、いわゆる「運動学」にすぎない。この「運動学」とニュートンによる「力学」は、学部の同じ講義の時間で学ぶかもしれないが、根本の部分で異質なものだ。「運動学」は、なぜその運動が生じるか、という理由に踏み込んではいない。ただ単に、運動の様子を数学的に記述するだけである。そういう意味で、まだ古代ギリシャ時代、アカデメイアで賢人たちが作ろうとしていたものの延長なのである。しかしニュートンによる「力学」は、”なぜ” 惑星は恒星の周りを楕円軌道を描いて回るのか、あるいは”なぜ”りんごは木から落ちるのかという「理由」を「説明」している。ここで注意すべきは、「記述」と「説明」の違いである。
 話を元に戻すが、とにかくここで言いたいことは、AIはデータから現象を「記述」することにおいては人間をはるかに凌駕するだろうが、「説明」することにおいてはどうだろうか。ということである。ケプラーの3法則を瞬時に見出したところで、その惑星の周回運動と、りんごが落ちるという運動が、同じ「運動方程式」というもので、統一的に「説明」できるということに気付けるだろうか?

 ニュートンは、人類始まって以来の、革命的科学者である。アインシュタインでさえ、そこのレベルに肩を並べられていないかもしれない。
 ニュートンのすごいところは何より、”気づけた”というところなんだと思う。地球上のものの落下と、惑星が恒星の周りをぐるぐる回るという現象が、同じ理由で説明できるのではないか、という風に。このように、”気づく”ということはAIにできるのだろうか。すなわち研究における問題発見能力は持てるのだろうか。それはいつか汎用AIが出現し、感情のようなものが芽生えたAIロボットが夜空を見上げるようになったら、きっとわかることなんだろう。

 ここからなんとなくわかることは、知的好奇心とか、何かを不思議に思えることなんかは、これからの人間にとって、難しい計算問題を素早く解けることなんかよりずっと重要だろう、ということかな。なんだか、自明な答えが出てきてしまった。

ハリルホジッチ解任

日本代表監督のハリルホジッチがクビになったわけだけど、うーん、色々と納得がいかないである。
私は特にハリル考えにものすごく同意していたわけではないけれど、今の日本サッカーに圧倒的に足りない技術や精神をハリルはずっと要求していた気がするので、その流れが断ち切られた気がして残念である。
こういう風に、4年ごとにぶつぎりの計画だと100年たっても世界に追いつけない。世界のトレンドを追って行くのか、日本独自のガラパゴスサッカーをやるのか、はたまたその中間か、真面目に考えるべきだろうな。

3/19

今日も基本的に、引越しに関する手続き、入学手続きに関する手続きなどをして過ごした。
部屋をかなり整理して、やっと、部屋の体をなしてきた。今朝やっと電気開通したぐらいだし(笑)

特に面白いこともなかったし、前進したこともゼロだな。こういう日をなくさないといけない。人生、いつ終わってしまうかもわからないんだし。